祈ることの美しさ。この世界は輝き、歌い、踊っている。

ナマステ。
前回のブログ更新より約3ヶ月が経っていました。

みなさんの祈りのおかげで僕は相変わらず楽しい毎日をインドで過ごしています。
そしてまだインドにいます。

去年の2月末にインドに来て以来、夏の間2ヶ月間ほど日本に帰国しましたが、この約1年の間に僕は11ヶ月という時間をインドで過ごしました。

なぜこんなにもインドでの時間を過ごしているのかは自分自身でもよくわかりません。
ただ、ゆらゆらと流れるままに身を任せていると、こんなにもインドという土地で多くのことを学ばせてもらう機会に恵まれたわけです。

1月あたままでマイソールという土地で過ごし、そこからゴアという土地で我が師Rolf&Marciのもと再びプラクティスに明け暮れていました。

約2時間のプラーナーヤーマから始まり、マイソールスタイル&アイアンガーの要素を踏まえたプラクティス。

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ゴアでのシャラ

この数年で一番多くの時間をこのゴアという地で過ごしていることもあり、地球上のどの土地よりも僕にとってはここゴアがホームタウンとなってしまったわけです。

練習が終わればサーフボードを持って海へ行き、パワフルな野菜と果物でご飯をつくる。
本当にやりたい事がシンプルに存在した生活がここにはあります。

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surf in Goa

なので、毎日が穏やかに流れ、気がつけばゴアから次の土地リシケシへとやってきていました。

北インドにやってきたのは5年ぶり。

また訪れたいと思いつつも、いつも海や山のある場所を優先してしまい、なかなか機会に恵まれなかった北インド。

今回はヴェーダーンタと呼ばれる知識を更に学びたいと思っていたところ、さまざまな出来事がどんどんどんどんと重なり合い、リシケシのアシュラムで学ぶ機会をいただきました。

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バンダーラと呼ばれるサンニャーシー(サドゥ)への食事の奉仕

なぜ、僕がヨガとともに生きているのか。

理由は一言でも言えるし、ただその一言のためにはいろいろ言いたい事もあるし、なかなか文章では伝えにくいものではあります。

ですが、その大きな理由の一つには、この世界が美しく見えるから。

見える世界も、聞こえる世界も、食べた世界も。

考えや身体がクリアになっていく事で、同じ世界を体験していても全然違う見え方をする。どこを見ても世界が輝いている。

中にはヨガのクラスに参加した後、そう思った方も多いのではないだろうか。

海や山で遊ぶ事も好きだけれど、美味しい食べ物を食べる事も好きだけれど、

ヨガを通してみるサーフィンがもっと好きだし、ヨガを通して食べる食べ物がもっと好きなのです。

よくいうのは、この感覚を通す事で、いつもの100倍、楽しく、美しく、美味しく、世界を体験できているよ。と僕はいいます。

わかりやすくそう言うだけで、実際はもっと僕の中はハッピーで満たされている。
たとえどんな状況であっても。

ヨガによって見えてきた知識にはすべてを満たすものが含まれている。

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ガンガーでの祈り

悲しみが100倍悲しくなるわけでもなく、悲しみすらも悲しみとともに感謝が湧き上がる。

なので僕はヨガとともに生きるのだ。

その知識ゆえ僕は世界を楽しみ、心地よく生きられる波に乗っかり押されていく。

いつも言うように僕の生活は同じ事の繰り返し。

ヨガして豊かなものを食べて、自然で遊ぶ。

なので、他のなによりもそんな道を選んできた。

ですが、今回のリシケシでヴェーダーンタの知識をさらに学び、少しずつ深めていく事で、またこの勉強での知識が今まで見ていた世界をさらに輝かせてくれることに気づいたのだ。

世界はまだまだ輝き、歌い、踊っている。

祈るということがどれほど美しく、喜びに溢れたものなのか。

5年前、インドという国を見たとき、この祈りの美しさに僕は一気にインドの虜となった。

そしてまた、その美しさによってもっとインドが好きになってしまった。

だからよく分からないけど、11ヶ月もこんな不思議な国にいるのだろう。

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マハシヴァラートリー

リシケシでの勉強会のあとも、もっともっとこの知識に触れたくて、

バリへサーフィンへ行く予定を変更して、このヴェーダーンタの先生であるスワミジにくっついてまたインドを転々としています。

今はグジャラートの田舎のアシュラムでスワミジのお世話をさせてもらいながらのんびりとヴェーダの学びを深めています。

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夕日 in グジャラート

まさか、サーフィンを超えるものが僕の中に現れるなんて。

自分でも驚きの出会いでした。

サーフィンやアシュタンガヨガではなくてもっともっとヴェーダの勉強がしたくなるなんて。

でも、この知識はこの先すべてのものをさらに輝かせてくれることを知っている。

100倍どころか1000倍くらいにも。それ以上であることも。

より多くの人がヨーガやヴェーダの世界とともにありますように。

日本でも多くの人がこの世界観に触れるきっかけを何かしらの形でつくれたらなと思ってます。

あと数日でビザが切れるので、今回のインドの旅もおわり。

日本にはまだ帰らず、バリへ結局行きます。

久々のサーフィン楽しみだなー。

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失ったとみるのか、手放したとみるのか。

インド・マイソールでの練習も残すところひと月をきりました。

 

11月は言葉では現せないほど様々な出来事が起こり、様々なエネルギーがインド国内や僕らの周りに渦巻いていました。

 

ご存知の方もいるかもしれないけれど、インドの高額紙幣が突如紙切れと化し、インド国民のほとんどが混乱の渦中にいた。
日本で言うのであれば、突如明日から1000円、5000円、1万円札がただの紙切れになりますよーとアナウンスされたような感じ。

 

そんな大規模なことから身の回りに起こる様々なことまで。
とにかく怒涛のひと月ではありましたが、今は何とか落ち着き相変わらず毎日を楽しんでおります。
これから書かれることを読んでもらう前に、ひとつだけ言っておきたいことがあります。

 

「結局僕はハッピーで、どんなことがあっても毎日は輝いているし、幸せに満ちている。僕は今日もHappyです。」

 

人によってはちょっとショッキングな出来事かもしれないが、ある出来事を体験してまたヨガというものの奥深さを知った。
今日はそんな話。

 

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僕のことを知る人であれば、ご存知の方も多いかもしれないけれど、僕はかなり食にはうるさい。
それは料理の上手さであったり、味付けのセンスの良さをどうこう言うという意味合いではなく、僕らにとってどんな食べ物や食べ方が幸せで豊かな食事なのか。
それは人それぞれ違うし、僕の考えがすべてだということでもない。
ただ、食べるということをもっともっと多くの人に考えてもらいたい。
僕はそういった想いをずっとずっと持ちながら生きている。

 

食とヨガは切っても切れない関係だし、食を考えてもらうのにヨガはとても分かりやすいツールだし、食が変われば、生き方だって間違いなく変わる。

 

僕の生活なんて、一言で言えば、
豊かな食事をとり、ヨガをして、自然に敬意をもって自然と遊ぶ。

 

これ以外のことはほとんどしてないんじゃないかというほど。
まぁ僕の生活なんてこんなもんだ。

 

でも、それくらい食事を大切に生きてきている。

 

時間や手間、愛情ががかけられた食べ物がいかにパワフルでエネルギーに満ちているか。
時間がないからと済ませ手に入れた食材や食事がどれだけ身体や精神を傷つけているのか。
言葉で言うことは簡単だし、誰でも分かっている。
だから僕のライフスタイルから何かを感じてもらえればと僕は僕なりの食を体現している 。

 

昨年まで住んでいた京都では「社会福祉法人オリーブの会」の協力のもと、仲間とともに食に関するワークショップやライフスタイルを提唱した活動を「ドニさんの家」というスペースで約2年に渡り行い、ただ僕はそこに住みながら食とカラダを見直してもらえるように生活をしていた。
主催していた仲間の活動のおかげで、この活動は全国の福祉施設の活動の中でも大賞を受賞したほど。
今調べてたらYahooニュースにもでてた。笑

 

食事に関してはいくらあっても時間が足りないので、ぜひまたそんな話はどこかで。
兎にも角にも、僕は食べることをずっと考えながら生きている。

 

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話は戻り、インド。
約2週間ほど前の11月後半。
僕はとあるアクシデントにより人生で初めて入院をすることになった。

 

とある不注意によって三半規管と耳石のトラブルを起こし、起き上がることができないほどのめまいに見舞われることとなったのだ。
精密検査ののち、数日で退院はしたものの、自宅療養を余儀なくされ、ヨガの練習をしにインドに来てはいるものの約1週間ベッドの上で過ごした。
それからも歩くこともままならない日々が続いたが、約2週間を経て、多くの仲間や人々の助けのおかげでようやく少しずつ練習も再開できるように戻ってきた。

 

人生で初めてこれだけ長いことベッドの上で寝る生活を過ごし、当たり前ではあるが改めて健康って素晴らしいなって身をもって体験したのである。
もちろんこのアクシデントからもたくさんのことを学んだので後悔はないし、変な話このくらいで済んで本当に良かった。

 

歩くこともほとんどできなかったため、この2週間で驚くほど筋肉は硬直し、衰えていった。
復帰後の練習もまずは、めまいを起こさぬように筋肉を徐々に取り戻すところから始まった。
ゆっくり、ゆっくりと。
それでも練習できるという喜びは僕にとっては計り知れないものであった。

 

やっぱり毎日のヨガが僕には必要で何より大好きだ。

 

そんなリハビリ生活の中、食欲も取り戻したある頃、あることに気づいたのである。

 

香りと味覚がなくなっているということに。

 

アクシデントの際、後頭部を打ち、左耳が聞こえずらくなっていたことはすぐに気づいていたけれど、めまいの中ほとんど食事もとれず、とれたとしても頭の中はグラグラなので味まで気にすることは出来ず、食べることに必死だった日々ではそれらになかなか気づくことができなかったのである。

 

難聴の症状と同様、時間をかけて回復するだろうなと思いながらも、少し気になったのでインターネットで調べてみると、嗅覚、そして嗅覚によって感じられる味覚を司る神経は非常に弱く、特に頭部にダメージを受けることで損傷しやすい。
そして一度損傷した神経は基本的に治ることは難しい。

 

いろいろと調べてみても、どこでも書いてあることは基本的同じだ。

 

正直、これを見たとき、マジか。と一瞬思った。

 

でも、まぁ一瞬そうは思ったけれど、その少し後には
まぁしょうがないか、なってしまったものはなってしまったものなのだから。と割とすぐに受け入れることができた。

 

この時、僕は心の底からヨガをしていてよかったと思った。
むしろこうなる日のためにヨガに出会ったのであろうとも思ったほどだ。

 

普段は海や山で遊び、できるだけ怪我はしたくはないけれど、危険と安全のギリギリのラインを楽しむ快感が好きなことも事実。
ありがたいことに今まで大きな怪我なく遊んできたけれど、これからどうなるかそれは今の段階では分かったことではない。
それでも大なり小なりの怪我はこれからも起こるのだろう。

 

今回のこの状況で僕はヨガに救われたのだ。
いや、僕の生活は常にヨガによって救われている。
でも今回のこの出来事はそれをわかりやすく体感できたのだ。

 

この人生で起こることはもう決められている。
僕は日々のヨガを通して心からそう思って生きている。
もちろん普段の行いでそれは変わるのだけれど、その変わることももう既に決まっている。
だから何か見返りを持って行動しようが、もう返ってくるものは決まっているのだから見返りを求めることに意味はない。
だからと言って何もせずして、よい道には繋がるわけでもなく、するべきことをしていれば、おのずと自分の歩む道がやってくる。

 

このアクシデントは既に用意されていたものなのだ。
だからそれに心を乱され落ち込んでも無意味だ。
もし仮に今回のアクシデントを避けられたとしても、別の形で感覚は失うことになっていただろう。

 

ただ、僕はヨガとこれまで深々に向き合ってきたことで強い確信を持っている。

 

ヨガのエネルギーと人体の可能性は未知であると。

 

僕はこれまでヨガによってこれまで知ることのない未知なる感覚をたくさん体験してきた。
西洋医学では一度損傷した神経が戻ることはないと言おうとも、
僕はヨガや瞑想、呼吸法により多分治るのであろうという自信がある。多分ね。

 

それは、これまでヨガや呼吸法、瞑想と向き合ってきたからこそ言えること。
なので感覚が戻らないと知ったときも、ちょっとばかり他人事のような感覚になった。
だって僕はヨガという生き方を選んだのだから。

 

まぁ、いいや。やることさえしていれば、なるようになるさと。

 

もし、感覚が戻らなかったとしてもそれはそれ。
そうゆう道が用意されていたのだから、それを楽しめばいいだけだ。

 

またそれはきっと新たな素晴らしい感覚を僕に与えてくれることになるだろう。

 

食べるという行為では、僕はなにより食べ物に宿るエネルギーを大切にし、身体にお供えしている。
以前のブログにも書いたかもしれないが、僕らはエネルギーを食べているのだ。
それは栄養というわけだけではなく、そこにはどんな想いが詰め込まれているのか、一緒にその場にいる人がどのようなエネルギーを新たに生み出してくれるのか。

 

味やニオイが分からなくなったことで、今まで気付くことのできなかった部分のエネルギーにまできっと感覚が研ぎ澄まされていくに違いない。こうならなければきっと気づけない更なる感覚が人体には備わっているはずだ。
それはもっと食べるという本質の感覚に近づいた食事になるであろう。

 

味では得られない快感が間違いなくそこにはある。
味によって隠されていた感覚がまた目覚め始める。

 

これによって僕はきっともっと食事が好きになるだろうし、なかなか見ることのできない世界を伝えることができるようになるかもしれない。
僕はもっとダイレクトに食の美しさや愛情、エネルギーを感じ取ることができるようになるだろう。

 

食を大切にしてきたからこそ、感覚を手放し、それを教えてもらえたのだと思う。

 

まぁ、ヨガをしていれば感覚は戻るとも信じているし、正直もどってきたら嬉しい。
感覚が戻った後もこの新たな気づきと感覚を大切にして食事を楽しめる。
これからもヨガは今まで通りに練習するし、とりあえずアーユルヴェーダも試してみようと思う。
アーユルヴェーダもヴェーダから成る知識であり、大雑把に言ってしまえばヨガだ。
入院の時はお世話になってとても感謝はしているが、今後は西洋医学には頼るつもりはない。
批判するわけではなく、僕には合わないと思うから。
時間がかかろうとも、たとえ治らないとしてもケミカルを身体に取り入れたくはない。

 

そして、感覚が戻らなかったとしてもそれはそれで新たな食事を楽しむことができる。
それは今までヨガによって目覚めさせてくれた感覚が、食事は味だけでないことを教えてくれたから。

 

そして、ヨガによって動きにくい精神を養ってもらっていたから。

 

ヨガとはアーサナじゃないとはよく言うけれど、本当にそうだ。
もちろんアーサナは正しい知識を理解するためには必ず必要なものだし、アーサナせずに気づけないことはたくさんある。

 

でも、アーサナやヨガの知識を学び、その知識を自分のものとすることにより僕は今回のこの感覚を手放すということを楽しむことができている。

 

きっとヨガの本を読んでや、クラス、TT(Teacher Training)を受けて、
「ヨガとはどんなことにも心を乱さず受け入れることですよ。」
と教えられていたとしても、日々のプラクティスや、瞑想、知識の理解がなければそんなのは飾りで終わってしまう。

 

今の自分がどれほどヨガを理解しているかなんて正直誰も分からない。
いくら勉強会に参加しようと、いくらアーサナを熱心に取り組もうと、それは見えないのだ。
インドで有名な先生にヴェーダの知識を学んだからと言っても、インドに毎年通ったとしても、たくさんのTTの資格を取ろうとも、毎日自然を眺めているだけのおじいちゃんのほうがよっぽど宇宙の法則を理解しているなんてこともあるだろう。

 

ただ、今回の出来事により、僕の心は昔よりきっと強くなっているのだなということだけは分かった。

 

きっとヨガに出会っていなければ大好きな食事を失ったと相当落ち込んで、もしかしたら一生このアクシデントを後悔していたかもしれない。

 

マジか。と思った3文字分くらいの時間ちょっとびっくりしただけで、実際は一切落ち込まずにすんだ。

 

最初にも書いたけれど、
結局何も変わらず今日もハッピーだ。

 

今も仲間と毎食毎食、何を食べるかを真剣に考え、手を抜くことなく食事を楽しみ、
今までの味の記憶を使いながら美味しい料理だって作れている。

 

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何の心配も、大丈夫?の言葉もいらないくらい毎日楽しんでいます。

 

どうしても、感覚がもどっていない今だからこそ伝えたいヨガの恩恵なのでか書かせてもらいました。
もし、感覚が戻ってから同じことを書いても、ちょっと伝えたいことが薄れてしまう気がして。

 

失ったものはなく、手放して手に入れたもののほうが遥かに大きい。
シンプルになればシンプルになるだけ豊かになれる。

実際、髪の毛切りすぎちゃった〜。くらいのもんですからね。
すぐに戻ることですし。

 

今日は美味しいビリヤニをみんなで作ります。

 

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立つ場所で見える景色は変わる。

久しぶりにブログを書きたくなったので本当に久しぶりの更新をしたいと思います。

インドに戻ってきて1ヶ月。
今、僕はインドのマイソールにあるアシュタンガヨガのいわば総本山KPJAYI(http://kpjayi.org)にて練習をしています。

僕はこのアシュタンガヨガを伝統的なスタイルで練習し始めてから、ずっとインドのゴアという土地で僕の師匠であるRolfとMarciと共に練習をしてきた。
他の先生の元に就いたことはない。

それが今年の3月。ゴアでのシャラ(練習場)がオープンしないこともあり、初めてこのマイソールでの練習を始めることになった。
その時はひと月だけマイソールに滞在し、今回の2回目のマイソールは12月までの3ヶ月間滞在する予定だ。

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屋上から夕日を眺めるのが日課

話は少し飛んでしまうが、
僕らはさまざまな物事を自分の経験や知識によって一方向から見る癖がついてしまっている。
その自分の経験や知識というフィルターを通すことによって自分なりの解釈をしてしまう。
他人の言葉でさえも一度自分のフィルターを通して、取り入れるか取り入れないか判断していたり。
それはもちろん正しいこともあるが、たいていは本来の意味が正しく見えず、良いや悪い。好きや嫌いといったように自分なりの識別をしてしまうことが多い。

ある人を、この人はいい人だ。と褒める人もいれば、
いいや、あの人は嫌な人だ。と嫌う人もいる。
対象は同じなのに識別する人の目には別のものが映っているようにみえてしまう。
お互いに正しい識別ができれば対象は同じに見えるはずなのに。

きっとこの人はいい人でもなければ、嫌な人でもないのだろう。その人はその人なだけだ。
良いも悪いも上も下も右も左もない。自分のフィルターを通した時にそれが出てくるだけ。

そんな物事の本質を知り、正しい識別によって見えるこの美しい世界をもっと見たくて僕はヨガを練習している。
そのツールとしてアシュタンガヨガを僕は選んだ。

ただ、そのツールとして選んだアシュタンガヨガを僕は一方向からしか見たことがなかったのだ。

今までも練習や知識が間違っていたというわけでは全くない。
むしろ全て合っている。RolfとMarciから学んだことは本当に美しく輝いている。
このマイソール滞在後はまたゴアでの練習に参加するし、ゴアにはこれからも通い続ける。
ただ、一方向からしか見ていなかったために全体の一部分しか見えておらず、そこで見てきたものがアシュタンガヨガだと信じてきた。

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1年目のインド。with Rolf & Marci

今年からこのマイソールで練習する機会を与えてもらい、また全然違う角度から僕はアシュタンガヨガを見ている。
それはそれは本当に楽しく素晴らしい経験と気づきの毎日だ。

アーサナが綺麗にできるようになったとか、ポーズがたくさん進んだとかそんな話ではない。

ここマイソールの師Sharathはカンファレンスと呼ばれる講義の場で、多くの師を持つべきではない。多くの師を持てば困惑が生じる。持つべき師はひとりだ、と言う。(たぶん。僕の英語が合っていれば。)

正にそうだ。あの先生はこう言うからこうしてみよう。別の先生はこうしたほうが良いというからこれも試してみよう。
言葉に流され本質が見えないまま次へ次へと流されればきっと理解はどんどんと遠のいていくだろう。

どんな教えであろうとも、まずは一人の師からの教えを重く強固に自分のものとして理解することが大切なのだと思う。
もし次の教えに触れたいのであれば、それからだ。

次の教えに触れたとしても本当の師はひとりなのだろう。
他の師からの知識を使い、自分のただひとりの師をまた深く見る。

そう。本質はひとつなのだ。
それぞれの師はその本質を自分から見た一片の視点から伝えてくれる。
その一片が幅広く深い人もいれば、狭い人もいる。

僕らはその師を通して伝わる知識体に触れているのだ。

あの先生の言っていることはおかしいや、間違っているというものではなく、知識体を見ている角度や方向や幅が違うだけで、だれも間違いではないのだろう。

ありがたいことに、今僕が練習をさせてもらっているRolfもMarciもSharathも異なった角度から同じアシュタンガヨガを見ているように思える。そしてこの3人は計り知れない一片の幅と深さを持っている。
どれも間違いではないし全てが共通し合っている。

マイソールで練習していると、ゴアでの練習はアシュタンガではないという声を聞くこともあれば、
ゴアにいればマイソールでの身体の使い方は間違いだという声も聞く。

今回深く思ったのは、そうではなく、どれも間違いのないアシュタンガヨガなのだ。
ただ、フォーカスする角度が違うだけで。

結局は今の段階の僕もこの知識体のどれくらいが見えているのかも知ることはできないし、今回思ったことがまた変わる日が来るかもしれない。
その道のりがヨガなのだろう。

どうしてもアーサナを綺麗にできるようになったり、よりたくさんのポーズをもらいたいと思ってしまうこともあったけれど、そんなことは本当にどうでもいいことなのだと今回の1ヶ月では深く感じている。

もちろん正しい理解があれば勝手に進んでいくのだろうけれど、アーサナをたくさんしなくても得られる気づきはまだまだたくさんある。
今までの道のりに取りこぼしていた色々なものをもう一度戻って、ゆっくり拾い集めている感じだ。
たとえその量が少なかったとしても、落としたことにも気づかず先に行ってしまうよりかは僕はいい。
そしてなによりのんびり何か落ちてないかなと探しているこの時間が楽しくて大好きだ。

毎日毎日ひたすら自分の身体とこころと向き合い、身体の声を聞く。
そう。聞くのは師の言葉ではなく、師の言葉を使って聞く身体の声なのだ。

僕の一番の師はこの身体だ。

そんな身体と心に日々祈り、無理なく大切にしてあげることが僕の伝えたい一辺である。

いくら後屈が深くできようができまいが、バンダがうまく使えようが使えまいが、そんなのはどっちでもいい。
そこに健やかで落ち着いた身体と心があるのならば。

ただ、身体を大切にしてあげるのには知っておいたほうがいいことがあるのもまたひとつ。

長々と書き綴ったけれど結局は日々の練習により気づくことが一番。どんな道を通ろうとも。 楽しく気持ち良く。
practice, practice, practice.
and enjoy everything.

ありがとう徳島

気が付いたら徳島での期間限定2ヶ月のマイソールクラスもあっとゆう間に終わり、それと同時に2ヶ月のみの日本滞在が終わりを迎えました。

 

僕は2日前よりまたインドにやってきています。

 

この2ヶ月では本当に感謝してもしきれないほど、たくさんの出会いと経験をさせてもらいました。

 

様々な素敵な経験を事あるごとに文章としてまとめたかったのですが、まとめる時間さえないくらい本当に次から次へと楽しい時間のお誘いをいただき、気づけば何も形にすることが出来ぬまままたインドにおります。

 

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城満寺ヨガウィーク Last Day

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ただ、ひとつ言えるのがこのマイソール徳島という空間は僕が用意した空間にみなさんを招いてヨガをしていたというのではなく、みんながこの空間を作り出し、そこに生まれたヨガという知識に触れて遊んでいたように思えます。

 

それは参加してくださった方もそうだし、参加したいと思ってくれていた方の想いも、コーヒーやお酒を飲みながら噂ばなしをどこかで話してくれていた方のエネルギーも。
どこかで全てがつながり、どこからともなくこの空間にやってきて、この空間に満ちた知識と戯れる。

 

何年も練習されている方も、今回はじめてヨガに触れた方も。

 

みなさんから頂いた、お弁当もフルーツもすだちも、何から何までこの空間を支えて、みんなで無言の空間ですが、それはそれはひとりひとりがはしゃぐように楽しんでいたように僕は感じて毎日みなさんの前に立たせてもらっていました。

 

なんだか自分の身体を抜け出し、どこかでみんなのエネルギーとつながり、また身体に戻り、みんなのエネルギーによってそれぞれの身体が支えられているような。

 

徳島のマイソールは一旦お休みとはなりますが、スタジオで練習できなくともそれはどこかで必ず繋がっているのでしょう。
僕はそう信じて毎朝インドよりこの宇宙にそのエネルギーを解き放ち続けたいと思います。

 

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朝の4時台から練習を始めるヨギーたち

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メンズ限定 パンイチヨガ@とよとみ珈琲

自主練が好きな人も、なかなか続かない人も、少しでもみなさんが触れるヨガの知識を楽しくするために、また今日から半年間フルパワーで練習してきます。

 

本当にマイソール徳島の空間を支えてくださったみなさまに心より感謝いたします。
幸せな時間をありがとう。
また、帰国後お会いできることを楽しみに。

 

Have a wonderful yoga life!!
Hari om.

 

Doni

 

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Mysore Tokushima 

毎朝4:00から9:00までの間、入れ替わり立ち替わりたくさんの方に練習してもらっています。
6時半頃からはもう室内も屋上も一杯です。


まさか4時台からこんなにたくさんの方が来てくれるとは思ってもおらず、やはり徳島はパワフルですね!

まだ日の出前の自主練が華やかになり練習もさらに楽しく、その代わりますます寝坊はできなくなりました。

ただ日本でも2時半起き生活ができて身体の調子はだんだん良くなってきています。

本日は遠方、岡山や香川からも来てくださりありがとうございました。

室内でも屋上でも練習できる気持ちのよいスタジオでぜひみなさんお待ちしております。


毎朝パワフルにみんなで練習中。まだまだ2ヶ月近くあるのでみなさんも朝の習慣にヨガをしてみませんか?

新たにに始めた方たちもこの1週間でもう立派なアシュタンギー、アシュタンギーニに。

まだまだ盛り上がりそうで、何より僕が毎朝楽しみです。

そして、生徒さんから頂くvegan朝ごはんで毎朝最高のスタートに。


感謝感謝。

そして今晩は徳島名物、とよとみ珈琲さんで男性限定パンイチヨガですよ〜。

この夏は徳島ヨガ祭り。

来週からはクラス後にちょこちょこ海にも行くぞー。

ただいまニッポン。

5ヶ月のインド、スリランカの旅より帰国しました。

帰国したのは10日ほど前ですが、帰国後よりすぐに始まった日本の旅。
まずは横浜の実家に戻り、千葉へ。
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千葉県勝浦

そこから東京→京都。
インドで共にしたバックパックを滋賀のお世話になっている元同僚の家に置かせてもらい、今度は120Lのキャリーバックとサーフボードに持ち替え、滋賀の山の中から大阪へと帰国後初のクラスに向かう。
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滋賀県大津市

出国前の滋賀の家の裏の山はスキー場で、真っ白だった景色も、夏は草木が青々と生い茂り、琵琶湖も夏の太陽に照らされ、日本も本当に美しなと思える素敵な場所でした。
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滋賀県 比良山 (家の裏)

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滋賀県 琵琶湖 (家の前)

少しだけこの滋賀でものんびりしたかったけれど、またそれは次の機会に。
大阪の後はそのまま、神戸へ。
毎年インドでは時間を共にするけれど、なかなか日本では会うことのできなかったセイヤ&ケイコ夫妻のもとに。
共に練習し、共に探求し、共に生活するインドの仲間はみんな大好きで、このふたりもそんな仲間のひとり。
そんな嬉しい再開を果たし、翌日は神戸でスリランカで共に時間を過ごしたWassiに企画してもらったワークショップをさせてもらい、
翌日に今回の拠点となる徳島に到着しました。
神奈川→千葉→東京→京都→滋賀→大阪→神戸→徳島
インドの旅より動いた日本の旅も一旦、この徳島で2ヶ月間ゆっくりせてもらうことにします。
今までは、徳島県海部郡という徳島の中でも最南端に位置する町で生活させてもらっていましたが、今回は徳島市内。
まだまだ分からないことだらけのこの町を2ヶ月間かけてゆっくり探検していきたいと思います。
さっそく、たくさんの地元の方にお世話になり、毎日たのしく過ごしております。
そして、いよいよ昨日から始まったマイソールクラス。
Mysore Tokushima!!
初日よりたくさんの方にお越しいただき、この2ヶ月間はたくさんの方にアシュタンガヨガに触れてもらえればと思います。
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マイソールクラスは最初アーサナを覚えるまでに少し時間がかかりますが、それもまた楽しみの一つ。
ゆっくりゆっくり時間をかけて。
自分の練習を作り上げていきましょう。
まだまだ始まったばかり。
一部お休みを除き、毎朝練習していただけるので、アシュタンガヨガを始めてみたい方も、長く実践されている方もぜひお待ちしております。
それでは、徳島のみなさん。よろしくお願いします!

僕のくらし

朝起きて、まずはお湯を沸かす。
コーヒー豆を挽き、ゆっくりと丁寧にコーヒーを淹れる。

ココナッツオイルで口をゆすぎ、塩を混ぜたお湯でさらに口をゆすぎ、まずは口をきれいに。

1時間以上かけながらゆっくりとコーヒーを飲み、目を閉じて座る。

僕はこれをコーヒー瞑想と呼ぶ。

慌しさに振り回されず、こころを整える。

そうこうしていると、トイレに行きたくなるので、昨日食べたものを外へ。体内をクリアに。

さらに塩お湯でネティを行う。

ネティとは鼻にお湯を流し込み、鼻、そして呼吸器の浄化を行う。

ココナッツオイル、ターメリック、いくつかのエッセンシャルオイルを混ぜたペーストで歯を磨く。

祭壇に火を灯し、お祈りのプジャ。

1日の始まりに感謝を。意識をクリアに。


マットに座り呼吸法プラナヤマ。

エネルギーの通り道を浄化して、そこからアシュタンガヨガの練習にはいる。

約3時間の練習後、身体も意識もばっちりと目覚め、冴え渡る意識のもと、日常がはじまる。

とりあえず汗を流す。

せっけんもシャンプーも何も使わず、お湯だけ。

僕の日常における洗剤は洗濯用のココナッツから作られた洗剤だけ。

食器も水だけ。もし料理にオイルを使ったのであれば、朝のコーヒーの出がらしで擦る。

身体や生活が変われば必要なものは減る。

焼きたてのシンプルなパンを買いに家の裏まで。


ココナッツをコンコンと叩いて割り、練習で流れ出た水分を補い、中の果肉を取り出してブレンダーにかけてココナッツミルクをつくる。

フレッシュなフルーツと焼きたてのパンとココナッツミルクは毎日変わらぬ朝食メニュー。


散歩して、海眺めたり、丘に登ったり。ボーっと自然を眺めれば、もう昼飯の時間だ。

ここゴアではオーガニックの野菜も手に入るし、インド各地ではオーガニック食材も結構手に入る。

そんな野菜たちとスパイスでターリープレートを埋め、ゆっくりと丁寧に作ったご飯は外食よりも美味しいと思うし、身体が喜んでいるのがわかる。



またのんびりとフラフラ散歩して。

夜のプジャ。1日に感謝して。

夜も1時間ほど座り。ここではコーヒーは無し。

その後にはプラナヤマ。

そして寝る。

この与えられた身体を丁寧に大切に。

自分の身体を知り、その身体に合ったものを捧げる。

いくら綺麗な水を手に入れようと、甕の中の水が澱んでいれば、綺麗な水は甕に入れた途端に澱んでしまう。

お金と時間と豊かさと。

何がどれだけ必要なのか。

何を手放し、何を見つけるか。

これはインドだからできることなのではなく、僕のくらしは大体日本でも同じ。

強いて言えば、ココナッツが日本には無いから、そこが大豆に変わり、フラフラ散歩していた時間の一部が働く時間になるだけ。

僕はこれで十分。

クリアな毎日を楽しみましょ。