Mountain&Ocean 〜山のリトリート、海のリトリート〜

今年の日本では日本各地の様々なスタジオさんでヨガをさせてもらっていますが、スタジオだけではなく、お寺や神社でさせていただく機会もいただき、なおかつ宿泊しながらみっちりと僕の伝たい想いを伝えさせてもらえるリトリートという機会もいただいております。

この夏では、高野山という山でのリトリートと
城満寺という海でのリトリートをさせてもらいます。

【山のリトリート】
7月15日〜7月17日の和歌山県・高野山

【海のリトリート】
8月18日〜8月21日の徳島県・城満寺

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僕はAshtanga Yoga Mountain&Oceanとゆう名前で活動をしている。

僕はただの自然好きみたいなものですが、
これはただ自然が好きな野生児という意味ではなく、
僕のヨガの知識は山を歩き、山の中で生き、海に入り、海から世界を眺めることで教えてもらったことがほとんどだという想いが込められたもの。

なので、僕のヨガは山と海から教えてもらったとよく言っていて、今も自然からヨガを学んでいる。

インドやアーサナやヴェーダと呼ばれるものに触れた時に学んだことと、それらの知識は全く同じだったりもする。

そんな山や海の側に佇むお寺でヨガを伝えられることは、僕にとっては山と海に対して、この自然や宇宙に対しての恩返しのような想いだ。

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ヨガとは一体なんなのか。

ヨガという一般的なイメージである身体のポーズ(アーサナ)だけではないヨガの世界。

日頃から伝えたいことがありすぎて。
いつもヨガの話をしている。
食べ物の話だって。自然の話だって。
それは全てが僕にとってはヨガなわけで。
来る日も来る日もそんなヨガの話が楽しくて、知ってもらいたくて、し続ける。

僕が想うヨガという生き方とは。ヨガの生き方の先にある世界とは。

できればずっと話していたいけれど、僕はいつも同じ場所には留まってはおらず、自分でもどこにいるかわからないくらいで。

こうして徳島にいる間は、ありがたいことに全国津々浦々からこの小さなスペースにみなさん、そんな話を聞きに遊びに来てくれる。
僕がフラフラしているばかりに。
本当にみなさん遠路はるばるありがとうございます。

それでも僕はまた旅に出る。笑
各地を転々とし、また秋にはきっと国外へと指導の拠点を移し、そことインドを行き来することになるだろう。

話したいのに、話す場所をなかなか作らず、フラフラし続けてしまって。

なので今回こうしてみっちりと伝えられる場を作ってもらい、
僕が知っていることをできる限りこの各リトリートでは様々な角度から様々な想いを伝えていきたいと思っています。

僕が想う、ヨガに生きるとは。アーサナとは。祈りとは。

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現在は徳島県でマイソールクラスをさせてもらっていますが、徳島に来る前に高野山へご挨拶へ行ってきました。

高野山に近づくにつれ、だんだんと変わってくる空気。
何か張り詰めるような、それであって落ち着くような。
なんだかインドのお寺やアシュラムの中を歩いているようなそんな感覚。

インドと同じように、この高野山にも1200年以上もの間、脈々と受け継がれている知識がある。

こうして高野山でリトリートをさせていただける機会をいただいたことで、真言密教にも少しずつ触れ、そこからだんだんと見えてくる世界観。

インドと同じく行われ続けている祈り。

きっと高野山という地にはヴェーダ、ヴェーダーンタに共通する何かが流れているのだろう。

リトル インディア。

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僕自身も高野山というこの土地で、この空間を体験し勉強させてもらうことで、多くの知識にまた触れさせてもらえるのだろうと楽しみにしています。

普段は徳島という、空海が歩いた四国という土地でヨガを伝えさせてもらい、
そして、空海が開いた天空の密教聖地と呼ばれる高野山でもまたヨガを伝えさせてもらう。

この土地で、目を閉じ座り、身体を動かし自身を見つめ、いろいろな人とヨガについて語らう。

考えただけでこの夏は僕自身がわくわくしてしまうことが盛りだくさん。

できるだけ多くの方とそんなわくわくを共にしたいなと思っています。

まだまだこの世界はわくわくが隠れている。
ただ、僕らがそれに気づいていないだけで。

もし、よければそんなに書いていないブログですが、過去のブログの記事なども読んでみてください。僕が伝えたいヨガの世界を綴らせてもらっています。

そんな想いを元に広げるリトリートでの世界。
ぜひ楽しんでみてください。

素敵な学びの場となりますように。

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このブログ内の写真は高野山リトリートで訪れる場所になります。
どこも荘厳で、穏やかで、でも力強く、美しい。
夏にはどのような景色が広がっているのか。
とても楽しみです。

Easy to sit down

毎朝2時半に起きて、ゆっくりその日の身体やこころを見つめ、
そこから時間をかけてヨガマットの上に立ち、
アシュタンガヨガの練習を始める。

朝の4時からのフルパワーなプラクティスは、側から見たらそれはそれは過酷な修行だ。

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practice with seiya @Ashtanga Yoga Kobe

そんなに早起きして、朝からそんなに動いて。よくやるねぇ。と。

アシュタンガを練習していると、周りにはそんな人ばかりになってくるので、日々練習する人からすると特に不思議なことでもなんでもない。

もし練習を休みたい日があれば休めばいいだけだし。
僕はそんなスタンスで練習をしている。
休みの日以外でそう思うことはあまりないけど。笑

ある日、いつもお世話になっている徳島のお寺・城満寺に滞在している時、ご住職からある質問をされた。

「Doniさんはなぜヨガを練習しているのですか?」と。

この時のヨガという意味はアーサナを指していたのだと思うけれど、
僕は改めて考えた時、なぜ自分が毎朝それだけ練習しているか明確な答えがすぐには出てこなかった。

別にヨガを教えるためでもないし、
もっと身体を柔らかくしたいわけでもない。
ましてやもっとアーサナを増やして、いわゆるアシュタンガのアーサナを先に進めたいわけでもない。

もちろん、人に伝えるために自分の練習は必要だと思うし、
身体が開ききってないところがもっと開いたらいいなとも思う。
でも、それが毎朝、一見苦行のように見える練習を続ける一番の理由ではない。

少し考えて出た答えは、
「ただやりたいから、ですかねぇ?」

昔は、気持ちがいいからやっている。とゆう言い方もしていたけど、
それはそうだが、それすらもなんだかしっくりくる答えではなくなっていたわけで。

その時言えたのは、ただやりたいから。
それ以上にうまく伝えられる言葉は見当たらなかった。

でも、それ以降ときどきなぜ僕はアーサナを練習しているのだろうと自問自答するようになった。

まぁ単純に楽しいし、気持ちがいいし。
アーサナをすることで感じる感覚、五感が捉える世界。
見える世界、聞く世界、美味しい感覚。そんな世界が好きだから。

ただ、そこからまた色々なヨガの世界を体験してきて、
その答えも少しずつ変わってきた。

僕はアーサナの練習も好きだし、プラーナーヤーマも大好きだし、瞑想も大好きだ。
そして今は何より聖典を学び、ヴェーダ、ヴェーダーンタの世界を見ることが何よりしたいことの一つだ。

それらの学びをする上で、欠かせないのが「座る」ということ。

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インドのテンプルで学ぶスラム地区の子どもたち

聖典を学ぶにも何年もの間、1日の中で何時間も座って学ばなければならないし、
プラーナーヤーマだって瞑想だって、数分座るだけでは気づけない知識が長く座ることでたくさん見えてくる。

聖典を学ぶ時、僕は一度座ったら、絶対に姿勢を崩さないという想いで聖典に向かう。
足が痛くなる度に足を組み直したり、楽な姿勢を探すことは集中力が散漫になり、学びへの意識が薄れる。

そして、一度足を組み替えたり、姿勢を変えると、またすぐに同じように身体と心が落ち着かなくなることを僕は知っている。

だから、何があっても僕は姿勢を基本的には変えない。
基本的には…。

でも、それは最初からできるわけではない。
何年も座り続け、強い意志のもと、足が悲鳴をあげるほど苦しくても組み直さないというような鍛錬もした。

心がザワつき頭がパニックになり、その場から立ち去りたくなる経験もたくさんした。

でも、そんな経験の積み重ねで、僕はだんだんと長く、姿勢を変えずに座ることができるようになってきた。

そして、長く座れることによって、深い集中のもとたくさんの深い知識に触れることができたのだ。

それらの知識が世界を輝かせてくれている。
同じ世界を見ていても、以前の僕と今の僕ではそれはそれは全くと言っていいほど違う世界を見ている。

長く、そして集中して座るには、健全な身体と心が養われていないと難しい。
それを養うために、きっとアーサナはあるのだろう。
僕は最近それを深く体感する。

よくアシュタンガヨガをしていると、そんな激しくて難しいポーズやる必要あるの?
あんなのパフォーマンスでヨガではないんじゃない?と。

今なら、僕ははっきりと言える。
そんなポーズができるようになるということは、それだけ身体と心を整え、身体のことを知り、座りやすくなる。

クリアな心と身体には、自然と知識も入ってくる。
アーサナをしていると多くの気づきや知識が生き方を豊かにしてくれる経験はヨガをする人なら大抵の人が経験していることだろう。
アーサナをしなくとも、自然の中で生きることで、自然に入ってくる知識もある。
僕もそんな自然からの気づきによってたくさん知識を得た。

でも、それと同時に座らなければ気づけない知識も間違いなくそこにあることも知った。

きっと、これらは自然の中でいくらオーガニックな生活をしていても気づくことはできないのだろうと。

アーサナとはもともとサンスクリット語で”座法”という意味だという話を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

ただ本やヨガ情報を見て知った知識としてではなく、今はまさに自分が感じる体験として、本当にアーサナは座るためにあるんだなとしみじみ思う。

なので、今なぜ僕はアーサナを練習するのかと聞かれれば、
「ただやりたいからではあるけど、それはきっと、もっと聖典の言葉を理解したいから」
なのかなと思っている。

でも、結果的にはそれが気持ち良くハッピーにつながるわけで。
だから結局そう聞かれるのであれば、
「気持ちがいいから!」とこれからも答えるのだろう。

僕の師であるロルフはグルジの元で16年も練習を共にし、60歳を越えた今でもアシュタンガヨガの3rdシリーズや4thシリーズを練習し続けている。

ある時、練習生がロルフにこんな質問をした。
「4thシリーズを終わらせるまで練習して、そこまで練習するとどうなるんですか?」と。
まわりの練習生もこの先練習を続け、どんな世界が待っているのか。
ロルフの答えにみんなが耳を傾けた時、ロルフは一言。

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“Easy to sit down”(座りやすくなる。)

その一言は、とても深く、とてもロルフらしく、よりロルフが好きになった。
僕はロルフの弟子で本当によかった。
そして、僕がアーサナと同じくらい、プラーナーヤーマも瞑想も好きなのはロルフからヨガを学んできたからなんだなと。

かっこいいなぁ。

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YOGAの旅 in Japan

先月、7ヶ月に及ぶインドとバリの旅より帰国し、
早速、日本各地でヨガを伝えさせてもらっています。

ヨガに触れることでこんなにも素敵な時間と空間と出会いをさせてもらえるなんて。

まだまだ引き続き日本各地でヨガを伝えさせてもらいます。

ぜひぜひみなさん、日本のどこかでお会いできること、そして一緒にヨガを学べること楽しみにしております。

スケジュールはHPもしくはFBページよりご確認ください。
この夏は、2つのお寺でのリトリートも開催されます。

どちらも素晴らしき空間に佇む素敵なお寺です。
また普段と違ったエネルギーのなかでのヨガもお楽しみください。

●城満寺リトリート https://www.facebook.com/rustictravelyoga/

↓↓〜〜各地でWSを受けてくださった皆さんありがとうございました〜〜↓↓

【沖縄】太陽礼拝から学ぶ身体の使い方&呼吸法WS@NAVI沖縄北谷スタジオ

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【千葉】Ashtanga Mysoreクラス&ベーシックアライメントWS@路地裏Shanti+plus

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【神戸】Ashtanga Yoga 1day WS@thiikhae thiikhae

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【徳島】Mysore Tokushima@Viviamo Japan

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(朝4時台のマイソールクラス風景)

【徳島】パンイチヨガ@とよとみ珈琲

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Manduka

今回ご縁がありまして、MandukaのJapanアンバサダーに就任させていただきました。
http://manduka.jp/blog/ambsort/doniアンバサダー/#post-2319

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マンドゥカのマットとの出会いは初めてのインド。
現在、Ashtanga Yoga Kobe主宰の誠也くんがマットで練習が全然変わるよと教えてくれ、
当時彼が使っていたマットの上に立った瞬間その良さが足の裏から全身へと伝わってきました。
それまで使っていたのがインドで300Rs(500円)くらいで売られていたものだから、尚更。

帰国後、ブラックマット(http://manduka.jp/shopdetail/000000000078/ct38/page1/order/ )を手に入れ、毎日の練習が更に楽しみになった。

今回は日々の旅用のお供としてProliteマット(http://manduka.jp/shopdetail/000000000015/ct38/page1/order/ )を試してみたいと思います。
明日からの練習がまた更に楽しみに。

マット購入をご検討の方、これまで幾つかのマットを試してきた経験から何かアドバイスできればと思いますので、ぜひご相談ください。

明日もMysore徳島でお待ちしております。

明後日、11日はムーンデイによりお休みです。

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祈ることの美しさ。この世界は輝き、歌い、踊っている。

ナマステ。
前回のブログ更新より約3ヶ月が経っていました。

みなさんの祈りのおかげで僕は相変わらず楽しい毎日をインドで過ごしています。
そしてまだインドにいます。

去年の2月末にインドに来て以来、夏の間2ヶ月間ほど日本に帰国しましたが、この約1年の間に僕は11ヶ月という時間をインドで過ごしました。

なぜこんなにもインドでの時間を過ごしているのかは自分自身でもよくわかりません。
ただ、ゆらゆらと流れるままに身を任せていると、こんなにもインドという土地で多くのことを学ばせてもらう機会に恵まれたわけです。

1月あたままでマイソールという土地で過ごし、そこからゴアという土地で我が師Rolf&Marciのもと再びプラクティスに明け暮れていました。

約2時間のプラーナーヤーマから始まり、マイソールスタイル&アイアンガーの要素を踏まえたプラクティス。

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ゴアでのシャラ

この数年で一番多くの時間をこのゴアという地で過ごしていることもあり、地球上のどの土地よりも僕にとってはここゴアがホームタウンとなってしまったわけです。

練習が終わればサーフボードを持って海へ行き、パワフルな野菜と果物でご飯をつくる。
本当にやりたい事がシンプルに存在した生活がここにはあります。

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surf in Goa

なので、毎日が穏やかに流れ、気がつけばゴアから次の土地リシケシへとやってきていました。

北インドにやってきたのは5年ぶり。

また訪れたいと思いつつも、いつも海や山のある場所を優先してしまい、なかなか機会に恵まれなかった北インド。

今回はヴェーダーンタと呼ばれる知識を更に学びたいと思っていたところ、さまざまな出来事がどんどんどんどんと重なり合い、リシケシのアシュラムで学ぶ機会をいただきました。

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バンダーラと呼ばれるサンニャーシー(サドゥ)への食事の奉仕

なぜ、僕がヨガとともに生きているのか。

理由は一言でも言えるし、ただその一言のためにはいろいろ言いたい事もあるし、なかなか文章では伝えにくいものではあります。

ですが、その大きな理由の一つには、この世界が美しく見えるから。

見える世界も、聞こえる世界も、食べた世界も。

考えや身体がクリアになっていく事で、同じ世界を体験していても全然違う見え方をする。どこを見ても世界が輝いている。

中にはヨガのクラスに参加した後、そう思った方も多いのではないだろうか。

海や山で遊ぶ事も好きだけれど、美味しい食べ物を食べる事も好きだけれど、

ヨガを通してみるサーフィンがもっと好きだし、ヨガを通して食べる食べ物がもっと好きなのです。

よくいうのは、この感覚を通す事で、いつもの100倍、楽しく、美しく、美味しく、世界を体験できているよ。と僕はいいます。

わかりやすくそう言うだけで、実際はもっと僕の中はハッピーで満たされている。
たとえどんな状況であっても。

ヨガによって見えてきた知識にはすべてを満たすものが含まれている。

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ガンガーでの祈り

悲しみが100倍悲しくなるわけでもなく、悲しみすらも悲しみとともに感謝が湧き上がる。

なので僕はヨガとともに生きるのだ。

その知識ゆえ僕は世界を楽しみ、心地よく生きられる波に乗っかり押されていく。

いつも言うように僕の生活は同じ事の繰り返し。

ヨガして豊かなものを食べて、自然で遊ぶ。

なので、他のなによりもそんな道を選んできた。

ですが、今回のリシケシでヴェーダーンタの知識をさらに学び、少しずつ深めていく事で、またこの勉強での知識が今まで見ていた世界をさらに輝かせてくれることに気づいたのだ。

世界はまだまだ輝き、歌い、踊っている。

祈るということがどれほど美しく、喜びに溢れたものなのか。

5年前、インドという国を見たとき、この祈りの美しさに僕は一気にインドの虜となった。

そしてまた、その美しさによってもっとインドが好きになってしまった。

だからよく分からないけど、11ヶ月もこんな不思議な国にいるのだろう。

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マハシヴァラートリー

リシケシでの勉強会のあとも、もっともっとこの知識に触れたくて、

バリへサーフィンへ行く予定を変更して、このヴェーダーンタの先生であるスワミジにくっついてまたインドを転々としています。

今はグジャラートの田舎のアシュラムでスワミジのお世話をさせてもらいながらのんびりとヴェーダの学びを深めています。

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夕日 in グジャラート

まさか、サーフィンを超えるものが僕の中に現れるなんて。

自分でも驚きの出会いでした。

サーフィンやアシュタンガヨガではなくてもっともっとヴェーダの勉強がしたくなるなんて。

でも、この知識はこの先すべてのものをさらに輝かせてくれることを知っている。

100倍どころか1000倍くらいにも。それ以上であることも。

より多くの人がヨーガやヴェーダの世界とともにありますように。

日本でも多くの人がこの世界観に触れるきっかけを何かしらの形でつくれたらなと思ってます。

あと数日でビザが切れるので、今回のインドの旅もおわり。

日本にはまだ帰らず、バリへ結局行きます。

久々のサーフィン楽しみだなー。

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失ったとみるのか、手放したとみるのか。

インド・マイソールでの練習も残すところひと月をきりました。

 

11月は言葉では現せないほど様々な出来事が起こり、様々なエネルギーがインド国内や僕らの周りに渦巻いていました。

 

ご存知の方もいるかもしれないけれど、インドの高額紙幣が突如紙切れと化し、インド国民のほとんどが混乱の渦中にいた。
日本で言うのであれば、突如明日から1000円、5000円、1万円札がただの紙切れになりますよーとアナウンスされたような感じ。

 

そんな大規模なことから身の回りに起こる様々なことまで。
とにかく怒涛のひと月ではありましたが、今は何とか落ち着き相変わらず毎日を楽しんでおります。
これから書かれることを読んでもらう前に、ひとつだけ言っておきたいことがあります。

 

「結局僕はハッピーで、どんなことがあっても毎日は輝いているし、幸せに満ちている。僕は今日もHappyです。」

 

人によってはちょっとショッキングな出来事かもしれないが、ある出来事を体験してまたヨガというものの奥深さを知った。
今日はそんな話。

 

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僕のことを知る人であれば、ご存知の方も多いかもしれないけれど、僕はかなり食にはうるさい。
それは料理の上手さであったり、味付けのセンスの良さをどうこう言うという意味合いではなく、僕らにとってどんな食べ物や食べ方が幸せで豊かな食事なのか。
それは人それぞれ違うし、僕の考えがすべてだということでもない。
ただ、食べるということをもっともっと多くの人に考えてもらいたい。
僕はそういった想いをずっとずっと持ちながら生きている。

 

食とヨガは切っても切れない関係だし、食を考えてもらうのにヨガはとても分かりやすいツールだし、食が変われば、生き方だって間違いなく変わる。

 

僕の生活なんて、一言で言えば、
豊かな食事をとり、ヨガをして、自然に敬意をもって自然と遊ぶ。

 

これ以外のことはほとんどしてないんじゃないかというほど。
まぁ僕の生活なんてこんなもんだ。

 

でも、それくらい食事を大切に生きてきている。

 

時間や手間、愛情ががかけられた食べ物がいかにパワフルでエネルギーに満ちているか。
時間がないからと済ませ手に入れた食材や食事がどれだけ身体や精神を傷つけているのか。
言葉で言うことは簡単だし、誰でも分かっている。
だから僕のライフスタイルから何かを感じてもらえればと僕は僕なりの食を体現している 。

 

昨年まで住んでいた京都では「社会福祉法人オリーブの会」の協力のもと、仲間とともに食に関するワークショップやライフスタイルを提唱した活動を「ドニさんの家」というスペースで約2年に渡り行い、ただ僕はそこに住みながら食とカラダを見直してもらえるように生活をしていた。
主催していた仲間の活動のおかげで、この活動は全国の福祉施設の活動の中でも大賞を受賞したほど。
今調べてたらYahooニュースにもでてた。笑

 

食事に関してはいくらあっても時間が足りないので、ぜひまたそんな話はどこかで。
兎にも角にも、僕は食べることをずっと考えながら生きている。

 

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話は戻り、インド。
約2週間ほど前の11月後半。
僕はとあるアクシデントにより人生で初めて入院をすることになった。

 

とある不注意によって三半規管と耳石のトラブルを起こし、起き上がることができないほどのめまいに見舞われることとなったのだ。
精密検査ののち、数日で退院はしたものの、自宅療養を余儀なくされ、ヨガの練習をしにインドに来てはいるものの約1週間ベッドの上で過ごした。
それからも歩くこともままならない日々が続いたが、約2週間を経て、多くの仲間や人々の助けのおかげでようやく少しずつ練習も再開できるように戻ってきた。

 

人生で初めてこれだけ長いことベッドの上で寝る生活を過ごし、当たり前ではあるが改めて健康って素晴らしいなって身をもって体験したのである。
もちろんこのアクシデントからもたくさんのことを学んだので後悔はないし、変な話このくらいで済んで本当に良かった。

 

歩くこともほとんどできなかったため、この2週間で驚くほど筋肉は硬直し、衰えていった。
復帰後の練習もまずは、めまいを起こさぬように筋肉を徐々に取り戻すところから始まった。
ゆっくり、ゆっくりと。
それでも練習できるという喜びは僕にとっては計り知れないものであった。

 

やっぱり毎日のヨガが僕には必要で何より大好きだ。

 

そんなリハビリ生活の中、食欲も取り戻したある頃、あることに気づいたのである。

 

香りと味覚がなくなっているということに。

 

アクシデントの際、後頭部を打ち、左耳が聞こえずらくなっていたことはすぐに気づいていたけれど、めまいの中ほとんど食事もとれず、とれたとしても頭の中はグラグラなので味まで気にすることは出来ず、食べることに必死だった日々ではそれらになかなか気づくことができなかったのである。

 

難聴の症状と同様、時間をかけて回復するだろうなと思いながらも、少し気になったのでインターネットで調べてみると、嗅覚、そして嗅覚によって感じられる味覚を司る神経は非常に弱く、特に頭部にダメージを受けることで損傷しやすい。
そして一度損傷した神経は基本的に治ることは難しい。

 

いろいろと調べてみても、どこでも書いてあることは基本的同じだ。

 

正直、これを見たとき、マジか。と一瞬思った。

 

でも、まぁ一瞬そうは思ったけれど、その少し後には
まぁしょうがないか、なってしまったものはなってしまったものなのだから。と割とすぐに受け入れることができた。

 

この時、僕は心の底からヨガをしていてよかったと思った。
むしろこうなる日のためにヨガに出会ったのであろうとも思ったほどだ。

 

普段は海や山で遊び、できるだけ怪我はしたくはないけれど、危険と安全のギリギリのラインを楽しむ快感が好きなことも事実。
ありがたいことに今まで大きな怪我なく遊んできたけれど、これからどうなるかそれは今の段階では分かったことではない。
それでも大なり小なりの怪我はこれからも起こるのだろう。

 

今回のこの状況で僕はヨガに救われたのだ。
いや、僕の生活は常にヨガによって救われている。
でも今回のこの出来事はそれをわかりやすく体感できたのだ。

 

この人生で起こることはもう決められている。
僕は日々のヨガを通して心からそう思って生きている。
もちろん普段の行いでそれは変わるのだけれど、その変わることももう既に決まっている。
だから何か見返りを持って行動しようが、もう返ってくるものは決まっているのだから見返りを求めることに意味はない。
だからと言って何もせずして、よい道には繋がるわけでもなく、するべきことをしていれば、おのずと自分の歩む道がやってくる。

 

このアクシデントは既に用意されていたものなのだ。
だからそれに心を乱され落ち込んでも無意味だ。
もし仮に今回のアクシデントを避けられたとしても、別の形で感覚は失うことになっていただろう。

 

ただ、僕はヨガとこれまで深々に向き合ってきたことで強い確信を持っている。

 

ヨガのエネルギーと人体の可能性は未知であると。

 

僕はこれまでヨガによってこれまで知ることのない未知なる感覚をたくさん体験してきた。
西洋医学では一度損傷した神経が戻ることはないと言おうとも、
僕はヨガや瞑想、呼吸法により多分治るのであろうという自信がある。多分ね。

 

それは、これまでヨガや呼吸法、瞑想と向き合ってきたからこそ言えること。
なので感覚が戻らないと知ったときも、ちょっとばかり他人事のような感覚になった。
だって僕はヨガという生き方を選んだのだから。

 

まぁ、いいや。やることさえしていれば、なるようになるさと。

 

もし、感覚が戻らなかったとしてもそれはそれ。
そうゆう道が用意されていたのだから、それを楽しめばいいだけだ。

 

またそれはきっと新たな素晴らしい感覚を僕に与えてくれることになるだろう。

 

食べるという行為では、僕はなにより食べ物に宿るエネルギーを大切にし、身体にお供えしている。
以前のブログにも書いたかもしれないが、僕らはエネルギーを食べているのだ。
それは栄養というわけだけではなく、そこにはどんな想いが詰め込まれているのか、一緒にその場にいる人がどのようなエネルギーを新たに生み出してくれるのか。

 

味やニオイが分からなくなったことで、今まで気付くことのできなかった部分のエネルギーにまできっと感覚が研ぎ澄まされていくに違いない。こうならなければきっと気づけない更なる感覚が人体には備わっているはずだ。
それはもっと食べるという本質の感覚に近づいた食事になるであろう。

 

味では得られない快感が間違いなくそこにはある。
味によって隠されていた感覚がまた目覚め始める。

 

これによって僕はきっともっと食事が好きになるだろうし、なかなか見ることのできない世界を伝えることができるようになるかもしれない。
僕はもっとダイレクトに食の美しさや愛情、エネルギーを感じ取ることができるようになるだろう。

 

食を大切にしてきたからこそ、感覚を手放し、それを教えてもらえたのだと思う。

 

まぁ、ヨガをしていれば感覚は戻るとも信じているし、正直もどってきたら嬉しい。
感覚が戻った後もこの新たな気づきと感覚を大切にして食事を楽しめる。
これからもヨガは今まで通りに練習するし、とりあえずアーユルヴェーダも試してみようと思う。
アーユルヴェーダもヴェーダから成る知識であり、大雑把に言ってしまえばヨガだ。
入院の時はお世話になってとても感謝はしているが、今後は西洋医学には頼るつもりはない。
批判するわけではなく、僕には合わないと思うから。
時間がかかろうとも、たとえ治らないとしてもケミカルを身体に取り入れたくはない。

 

そして、感覚が戻らなかったとしてもそれはそれで新たな食事を楽しむことができる。
それは今までヨガによって目覚めさせてくれた感覚が、食事は味だけでないことを教えてくれたから。

 

そして、ヨガによって動きにくい精神を養ってもらっていたから。

 

ヨガとはアーサナじゃないとはよく言うけれど、本当にそうだ。
もちろんアーサナは正しい知識を理解するためには必ず必要なものだし、アーサナせずに気づけないことはたくさんある。

 

でも、アーサナやヨガの知識を学び、その知識を自分のものとすることにより僕は今回のこの感覚を手放すということを楽しむことができている。

 

きっとヨガの本を読んでや、クラス、TT(Teacher Training)を受けて、
「ヨガとはどんなことにも心を乱さず受け入れることですよ。」
と教えられていたとしても、日々のプラクティスや、瞑想、知識の理解がなければそんなのは飾りで終わってしまう。

 

今の自分がどれほどヨガを理解しているかなんて正直誰も分からない。
いくら勉強会に参加しようと、いくらアーサナを熱心に取り組もうと、それは見えないのだ。
インドで有名な先生にヴェーダの知識を学んだからと言っても、インドに毎年通ったとしても、たくさんのTTの資格を取ろうとも、毎日自然を眺めているだけのおじいちゃんのほうがよっぽど宇宙の法則を理解しているなんてこともあるだろう。

 

ただ、今回の出来事により、僕の心は昔よりきっと強くなっているのだなということだけは分かった。

 

きっとヨガに出会っていなければ大好きな食事を失ったと相当落ち込んで、もしかしたら一生このアクシデントを後悔していたかもしれない。

 

マジか。と思った3文字分くらいの時間ちょっとびっくりしただけで、実際は一切落ち込まずにすんだ。

 

最初にも書いたけれど、
結局何も変わらず今日もハッピーだ。

 

今も仲間と毎食毎食、何を食べるかを真剣に考え、手を抜くことなく食事を楽しみ、
今までの味の記憶を使いながら美味しい料理だって作れている。

 

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何の心配も、大丈夫?の言葉もいらないくらい毎日楽しんでいます。

 

どうしても、感覚がもどっていない今だからこそ伝えたいヨガの恩恵なのでか書かせてもらいました。
もし、感覚が戻ってから同じことを書いても、ちょっと伝えたいことが薄れてしまう気がして。

 

失ったものはなく、手放して手に入れたもののほうが遥かに大きい。
シンプルになればシンプルになるだけ豊かになれる。

実際、髪の毛切りすぎちゃった〜。くらいのもんですからね。
すぐに戻ることですし。

 

今日は美味しいビリヤニをみんなで作ります。

 

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立つ場所で見える景色は変わる。

久しぶりにブログを書きたくなったので本当に久しぶりの更新をしたいと思います。

インドに戻ってきて1ヶ月。
今、僕はインドのマイソールにあるアシュタンガヨガのいわば総本山KPJAYI(http://kpjayi.org)にて練習をしています。

僕はこのアシュタンガヨガを伝統的なスタイルで練習し始めてから、ずっとインドのゴアという土地で僕の師匠であるRolfとMarciと共に練習をしてきた。
他の先生の元に就いたことはない。

それが今年の3月。ゴアでのシャラ(練習場)がオープンしないこともあり、初めてこのマイソールでの練習を始めることになった。
その時はひと月だけマイソールに滞在し、今回の2回目のマイソールは12月までの3ヶ月間滞在する予定だ。

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屋上から夕日を眺めるのが日課

話は少し飛んでしまうが、
僕らはさまざまな物事を自分の経験や知識によって一方向から見る癖がついてしまっている。
その自分の経験や知識というフィルターを通すことによって自分なりの解釈をしてしまう。
他人の言葉でさえも一度自分のフィルターを通して、取り入れるか取り入れないか判断していたり。
それはもちろん正しいこともあるが、たいていは本来の意味が正しく見えず、良いや悪い。好きや嫌いといったように自分なりの識別をしてしまうことが多い。

ある人を、この人はいい人だ。と褒める人もいれば、
いいや、あの人は嫌な人だ。と嫌う人もいる。
対象は同じなのに識別する人の目には別のものが映っているようにみえてしまう。
お互いに正しい識別ができれば対象は同じに見えるはずなのに。

きっとこの人はいい人でもなければ、嫌な人でもないのだろう。その人はその人なだけだ。
良いも悪いも上も下も右も左もない。自分のフィルターを通した時にそれが出てくるだけ。

そんな物事の本質を知り、正しい識別によって見えるこの美しい世界をもっと見たくて僕はヨガを練習している。
そのツールとしてアシュタンガヨガを僕は選んだ。

ただ、そのツールとして選んだアシュタンガヨガを僕は一方向からしか見たことがなかったのだ。

今までも練習や知識が間違っていたというわけでは全くない。
むしろ全て合っている。RolfとMarciから学んだことは本当に美しく輝いている。
このマイソール滞在後はまたゴアでの練習に参加するし、ゴアにはこれからも通い続ける。
ただ、一方向からしか見ていなかったために全体の一部分しか見えておらず、そこで見てきたものがアシュタンガヨガだと信じてきた。

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1年目のインド。with Rolf & Marci

今年からこのマイソールで練習する機会を与えてもらい、また全然違う角度から僕はアシュタンガヨガを見ている。
それはそれは本当に楽しく素晴らしい経験と気づきの毎日だ。

アーサナが綺麗にできるようになったとか、ポーズがたくさん進んだとかそんな話ではない。

ここマイソールの師Sharathはカンファレンスと呼ばれる講義の場で、多くの師を持つべきではない。多くの師を持てば困惑が生じる。持つべき師はひとりだ、と言う。(たぶん。僕の英語が合っていれば。)

正にそうだ。あの先生はこう言うからこうしてみよう。別の先生はこうしたほうが良いというからこれも試してみよう。
言葉に流され本質が見えないまま次へ次へと流されればきっと理解はどんどんと遠のいていくだろう。

どんな教えであろうとも、まずは一人の師からの教えを重く強固に自分のものとして理解することが大切なのだと思う。
もし次の教えに触れたいのであれば、それからだ。

次の教えに触れたとしても本当の師はひとりなのだろう。
他の師からの知識を使い、自分のただひとりの師をまた深く見る。

そう。本質はひとつなのだ。
それぞれの師はその本質を自分から見た一片の視点から伝えてくれる。
その一片が幅広く深い人もいれば、狭い人もいる。

僕らはその師を通して伝わる知識体に触れているのだ。

あの先生の言っていることはおかしいや、間違っているというものではなく、知識体を見ている角度や方向や幅が違うだけで、だれも間違いではないのだろう。

ありがたいことに、今僕が練習をさせてもらっているRolfもMarciもSharathも異なった角度から同じアシュタンガヨガを見ているように思える。そしてこの3人は計り知れない一片の幅と深さを持っている。
どれも間違いではないし全てが共通し合っている。

マイソールで練習していると、ゴアでの練習はアシュタンガではないという声を聞くこともあれば、
ゴアにいればマイソールでの身体の使い方は間違いだという声も聞く。

今回深く思ったのは、そうではなく、どれも間違いのないアシュタンガヨガなのだ。
ただ、フォーカスする角度が違うだけで。

結局は今の段階の僕もこの知識体のどれくらいが見えているのかも知ることはできないし、今回思ったことがまた変わる日が来るかもしれない。
その道のりがヨガなのだろう。

どうしてもアーサナを綺麗にできるようになったり、よりたくさんのポーズをもらいたいと思ってしまうこともあったけれど、そんなことは本当にどうでもいいことなのだと今回の1ヶ月では深く感じている。

もちろん正しい理解があれば勝手に進んでいくのだろうけれど、アーサナをたくさんしなくても得られる気づきはまだまだたくさんある。
今までの道のりに取りこぼしていた色々なものをもう一度戻って、ゆっくり拾い集めている感じだ。
たとえその量が少なかったとしても、落としたことにも気づかず先に行ってしまうよりかは僕はいい。
そしてなによりのんびり何か落ちてないかなと探しているこの時間が楽しくて大好きだ。

毎日毎日ひたすら自分の身体とこころと向き合い、身体の声を聞く。
そう。聞くのは師の言葉ではなく、師の言葉を使って聞く身体の声なのだ。

僕の一番の師はこの身体だ。

そんな身体と心に日々祈り、無理なく大切にしてあげることが僕の伝えたい一辺である。

いくら後屈が深くできようができまいが、バンダがうまく使えようが使えまいが、そんなのはどっちでもいい。
そこに健やかで落ち着いた身体と心があるのならば。

ただ、身体を大切にしてあげるのには知っておいたほうがいいことがあるのもまたひとつ。

長々と書き綴ったけれど結局は日々の練習により気づくことが一番。どんな道を通ろうとも。 楽しく気持ち良く。
practice, practice, practice.
and enjoy everything.