Easy to sit down

毎朝2時半に起きて、ゆっくりその日の身体やこころを見つめ、
そこから時間をかけてヨガマットの上に立ち、
アシュタンガヨガの練習を始める。

朝の4時からのフルパワーなプラクティスは、側から見たらそれはそれは過酷な修行だ。

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practice with seiya @Ashtanga Yoga Kobe

そんなに早起きして、朝からそんなに動いて。よくやるねぇ。と。

アシュタンガを練習していると、周りにはそんな人ばかりになってくるので、日々練習する人からすると特に不思議なことでもなんでもない。

もし練習を休みたい日があれば休めばいいだけだし。
僕はそんなスタンスで練習をしている。
休みの日以外でそう思うことはあまりないけど。笑

ある日、いつもお世話になっている徳島のお寺・城満寺に滞在している時、ご住職からある質問をされた。

「Doniさんはなぜヨガを練習しているのですか?」と。

この時のヨガという意味はアーサナを指していたのだと思うけれど、
僕は改めて考えた時、なぜ自分が毎朝それだけ練習しているか明確な答えがすぐには出てこなかった。

別にヨガを教えるためでもないし、
もっと身体を柔らかくしたいわけでもない。
ましてやもっとアーサナを増やして、いわゆるアシュタンガのアーサナを先に進めたいわけでもない。

もちろん、人に伝えるために自分の練習は必要だと思うし、
身体が開ききってないところがもっと開いたらいいなとも思う。
でも、それが毎朝、一見苦行のように見える練習を続ける一番の理由ではない。

少し考えて出た答えは、
「ただやりたいから、ですかねぇ?」

昔は、気持ちがいいからやっている。とゆう言い方もしていたけど、
それはそうだが、それすらもなんだかしっくりくる答えではなくなっていたわけで。

その時言えたのは、ただやりたいから。
それ以上にうまく伝えられる言葉は見当たらなかった。

でも、それ以降ときどきなぜ僕はアーサナを練習しているのだろうと自問自答するようになった。

まぁ単純に楽しいし、気持ちがいいし。
アーサナをすることで感じる感覚、五感が捉える世界。
見える世界、聞く世界、美味しい感覚。そんな世界が好きだから。

ただ、そこからまた色々なヨガの世界を体験してきて、
その答えも少しずつ変わってきた。

僕はアーサナの練習も好きだし、プラーナーヤーマも大好きだし、瞑想も大好きだ。
そして今は何より聖典を学び、ヴェーダ、ヴェーダーンタの世界を見ることが何よりしたいことの一つだ。

それらの学びをする上で、欠かせないのが「座る」ということ。

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インドのテンプルで学ぶスラム地区の子どもたち

聖典を学ぶにも何年もの間、1日の中で何時間も座って学ばなければならないし、
プラーナーヤーマだって瞑想だって、数分座るだけでは気づけない知識が長く座ることでたくさん見えてくる。

聖典を学ぶ時、僕は一度座ったら、絶対に姿勢を崩さないという想いで聖典に向かう。
足が痛くなる度に足を組み直したり、楽な姿勢を探すことは集中力が散漫になり、学びへの意識が薄れる。

そして、一度足を組み替えたり、姿勢を変えると、またすぐに同じように身体と心が落ち着かなくなることを僕は知っている。

だから、何があっても僕は姿勢を基本的には変えない。
基本的には…。

でも、それは最初からできるわけではない。
何年も座り続け、強い意志のもと、足が悲鳴をあげるほど苦しくても組み直さないというような鍛錬もした。

心がザワつき頭がパニックになり、その場から立ち去りたくなる経験もたくさんした。

でも、そんな経験の積み重ねで、僕はだんだんと長く、姿勢を変えずに座ることができるようになってきた。

そして、長く座れることによって、深い集中のもとたくさんの深い知識に触れることができたのだ。

それらの知識が世界を輝かせてくれている。
同じ世界を見ていても、以前の僕と今の僕ではそれはそれは全くと言っていいほど違う世界を見ている。

長く、そして集中して座るには、健全な身体と心が養われていないと難しい。
それを養うために、きっとアーサナはあるのだろう。
僕は最近それを深く体感する。

よくアシュタンガヨガをしていると、そんな激しくて難しいポーズやる必要あるの?
あんなのパフォーマンスでヨガではないんじゃない?と。

今なら、僕ははっきりと言える。
そんなポーズができるようになるということは、それだけ身体と心を整え、身体のことを知り、座りやすくなる。

クリアな心と身体には、自然と知識も入ってくる。
アーサナをしていると多くの気づきや知識が生き方を豊かにしてくれる経験はヨガをする人なら大抵の人が経験していることだろう。
アーサナをしなくとも、自然の中で生きることで、自然に入ってくる知識もある。
僕もそんな自然からの気づきによってたくさん知識を得た。

でも、それと同時に座らなければ気づけない知識も間違いなくそこにあることも知った。

きっと、これらは自然の中でいくらオーガニックな生活をしていても気づくことはできないのだろうと。

アーサナとはもともとサンスクリット語で”座法”という意味だという話を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

ただ本やヨガ情報を見て知った知識としてではなく、今はまさに自分が感じる体験として、本当にアーサナは座るためにあるんだなとしみじみ思う。

なので、今なぜ僕はアーサナを練習するのかと聞かれれば、
「ただやりたいからではあるけど、それはきっと、もっと聖典の言葉を理解したいから」
なのかなと思っている。

でも、結果的にはそれが気持ち良くハッピーにつながるわけで。
だから結局そう聞かれるのであれば、
「気持ちがいいから!」とこれからも答えるのだろう。

僕の師であるロルフはグルジの元で16年も練習を共にし、60歳を越えた今でもアシュタンガヨガの3rdシリーズや4thシリーズを練習し続けている。

ある時、練習生がロルフにこんな質問をした。
「4thシリーズを終わらせるまで練習して、そこまで練習するとどうなるんですか?」と。
まわりの練習生もこの先練習を続け、どんな世界が待っているのか。
ロルフの答えにみんなが耳を傾けた時、ロルフは一言。

doorofperception.com-mysore_style-ashtanga_yoga-book-1

“Easy to sit down”(座りやすくなる。)

その一言は、とても深く、とてもロルフらしく、よりロルフが好きになった。
僕はロルフの弟子で本当によかった。
そして、僕がアーサナと同じくらい、プラーナーヤーマも瞑想も好きなのはロルフからヨガを学んできたからなんだなと。

かっこいいなぁ。

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